施設

金刀比羅大鷲神社 詳細情報 口コミ・レビュー一覧

名称
金刀比羅大鷲神社 
施設説明
金刀比羅・大鷲神社は、神奈川県横浜市南区真金町にある神社である。旧無格社。登記上の宗教法人名称は宗教法人金刀比羅神社。境内末社に伏見稲荷神社がある。
所在地
〒232-0021 神奈川県横浜市南区真金町1丁目3
営業時間
月曜日: 10時00分~16時30分
火曜日: 10時00分~16時30分
水曜日: 10時00分~16時30分
木曜日: 10時00分~16時30分
金曜日: 10時00分~16時30分
土曜日: 10時00分~16時30分
日曜日: 10時00分~16時30分
電話番号
レビュー件数
632
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※当施設情報は2025年3月1日現在にGoogleMAP上で表示されている情報を基に更新しております

金刀比羅大鷲神社の写真

Google Mapより引用Google MAPで見る

総合評価:
69.52pt. / 100pt. 53位 / 55件中
Google評価4.0 / 5.0 ( 80.0pt. )
45位 / 56件中
評点合計24.0 / 30.0 ( 80.0pt. )
50位 / 56件中
高評価率4 / 7 ( 57.1pt. )
54位 / 55件中
5つ星評価率2 / 7 ( 28.6pt. )
51位 / 55件中
非低評価率6 / 7 ( 85.7pt. )
51位 / 56件中
非1つ星評価率6 / 7 ( 85.7pt. )
51位 / 56件中
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レビュー一覧

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評価:
投稿日:1ヶ月前
0
評価:
投稿日:2ヶ月前
誰か知らないが社頭掲示も読まずに大鷲神社に社名改竄するな!
ここは金刀比羅大鷲神社が正式名だ!

金刀比羅大鷲神社
町中の神社としては最高の★4。
管理が行き届いており、街の人にも親しまれており素敵な神社。
雰囲気★★★★
管理 ★★★★★
規模 ★★
歴史 ★★
総合 ★★★

[評価基準]
★★★★★
鷲宮神社、寒川神社、大山阿夫利神社等
歴史の古さ、規模、施設、人が素晴らしい。
★★★★
走水神社、比々多神社、前鳥神社等
管理が行き届いている上で歴史が有り、人も素晴らしい。
★★★
小規模だが素晴らしい町中の神社
管理が行き届いて神職も素晴らしい。
★★    小規模で普通の神社
歴史もないが荒れてもいない。
★     廃社同然
何とかして差し上げないとまずいレベル。

[社名]
正式名 金刀比羅大鷲神社神社
旧社名 金刀比羅神社
主祭神 大物主神、崇徳天皇

相殿  大鷲神社
祭神  天鳥船命、倭建命、手力雄命

[御利益]
御祭神からも判る通り、御祭神は海上交通の神、商売繁盛の神、武神である。

[所在地変遷]
①旧境内地 港崎遊廓内(横浜公園)
万延元年(1860年)〜
慶應ニ年(1866年)火災焼失➡遷宮

②旧境内地 大綱金刀比羅神社
旧神奈川宿台村
神奈川区台町7-34
明治元年(1868年)〜

火災で港崎遊廓街が無くなった事で、神奈川区に高島町遊廓が新設され神奈川区台町の現在の大綱金刀比羅神社に遷宮(移転)。
この神奈川区に移転していた時代に、遊廓の本場の江戸吉原遊廓街の旦那衆が酉の市発祥地の台東区千束の鷲神社で熊手を買う習慣が有る事に肖(あやか)り、千束の鷲神社より御分霊を勧請し末社として大鷲神社を開いた。

〜明治六年(1873年) 遷宮
※神奈川区に遷宮した金刀比羅宮は古来より鎮座していた飯縄権現社と習合され大綱金刀比羅神社に名を改めて神奈川区台町に現存する。

③旧境内地 港崎遊廓内(横浜公園)
明治六年(1873年) 復興〜

港崎遊廓跡地に金刀比羅宮分祀を金刀比羅神社の名で無社格社(町内会運営)として復興登記、神奈川区の金刀比羅宮の御分霊を更に御分祀し再建。

〜明治十五年(1882年) 遷宮

④現境内地 真金町遊廓街跡
南区真金町1丁目3
明治十五年(1882年)遊廓の移転に伴い現在地に移転〜
この現在地への移転時に金刀比羅神社と旧末社大鷲神社を同格とし相殿として社殿を築いた。
また社名を現在の「金刀比羅大鷲神社」に改称した。

大正十二年(1923年)焼失
関東大震災の火災により焼失。
〜復興〜

昭和二十年(1945年)焼失
米軍による横浜大空襲で焼失。
昭和廿五年(1950年)復興
仮社殿で復興〜

平成 元年(1989年)再建〜
火災に強いコンクリートで現在の社殿を新築。
〜現在に至る。

[歴史]
横浜スタジアムの在(あ)る横浜公園は幕末〜明治まで港崎遊廓と言う大遊郭だった。
徳川幕府大老井伊直弼により横浜開港されると、ヘボン式ローマ字を発明した博士や各国大使の居所や各国仮大使館として当初は京急神奈川駅辺りの神奈川宿の多数の寺院が借り上げられた。
しかし寺院に仮住まいさせて置くのは双方に都合が悪く、外国人居留地として関内が定められると、安政六年(1859年)に現在の横浜スタジアムの所在地の横浜公園には港崎遊廓が建設された。
港崎遊廓建設に際し、今の香川県の有名な金比羅宮より御祭神の大物主神、崇徳天皇の御分霊を勧進し金比羅宮の分祀社を開いたのが真金町の金刀比羅大鷲神社の始まり。

現在も横浜公園内の彼我庭園には有名な遊廓の岩亀楼の石灯籠が現存する。

しかし港崎遊廓が慶應ニ年(1866年)「豚屋火事」と言う大火災で死傷者多数出し焦土と化した。
港様遊廓は火災後に破棄され、現在の高島町に遊廓街も移転新築され高島町遊廓街が建設された。
これに伴い金刀比羅宮分祀も現在の神奈川区に遷宮し大綱金刀比羅神社の前身と成った。
神奈川区に遷宮した際に金刀比羅宮から金刀比羅神社に改名された。

更に大綱金刀比羅神社を御分祀する形で横浜村の港崎遊廓跡に金刀比羅神社を復興した。
神奈川区台町の金刀比羅もそのまま並行し存続し後に台町の飯綱権現社を合祀して現大綱金刀比羅神社に改名し現在に至る。

高島町遊廓も火災で消失すると、遊廓街は現在の真金町と永楽町に規模を拡大し移転した。
これが永真遊郭街で、分けて真金町遊廓街、永楽町遊廓街とも呼ばれる。
この際に、現在の社名が金刀比羅大鷲神社に改められ現在に至る。

江戸吉原の文化を近代より受け継ぎ、戦国時代の宗閑湊(しゅうかんみなと)と呼ばれた横浜市市名起源の旧横浜村の港崎遊廓〜現在まで、歴史は160年程度と短いものの、脈々と江戸〜近代の華やかやな文化開花の時代の遊女達と旦那衆の悲恋と繁栄そして時代による変遷を見届けて来た、横浜市民に愛される素敵な神社さんです。

ちなみに金刀比羅神社の金刀比羅(こんぴら)の語源はサンスクリット語のकुम्बिरा(クンビーラ)の漢語の当字であり、インド神話のワニの神様であり龍神に仏教で転化した神様で薬師如来の眷属十二神の筆頭が、日本神話の大物主神に習合された仏神である。
0
評価:
投稿日:3ヶ月前
横浜橋通商店街の裏にあります。5日に初詣に行きましたが空いていました。
0
評価:
投稿日:3ヶ月前
2025年1月3日(金)参拝
初詣で御朱印を拝受しました。
桂歌丸師匠が近所に住まわれていました。
11月の酉の市は大変な賑わいです。
0
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