施設

大圓寺 詳細情報 口コミ・レビュー一覧

名称
大圓寺 
施設説明
大圓寺は、東京都杉並区和泉にある曹洞宗の寺院。山号は泉谷山。本尊は釈迦如来。薩摩藩島津家の江戸での菩提所でもある。
所在地
〒168-0063 東京都杉並区和泉3丁目52−18
営業時間
電話番号
URL
レビュー件数
54
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※当施設情報は2025年4月2日現在にGoogleMAP上で表示されている情報を基に更新しております

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総合評価:
81.67pt. / 100pt. 20位 / 39件中
Google評価4.3 / 5.0 ( 86.0pt. )
4位 / 41件中
評点合計21.0 / 25.0 ( 84.0pt. )
23位 / 41件中
高評価率4 / 5 ( 80.0pt. )
23位 / 38件中
5つ星評価率2 / 5 ( 40.0pt. )
21位 / 31件中
非低評価率5 / 5 ( 100.0pt. )
8位 / 41件中
非1つ星評価率5 / 5 ( 100.0pt. )
9位 / 41件中
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レビュー一覧

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評価:
投稿日:4週間前
本堂に徳川と薩摩の家紋。
戊辰戦争で亡くなった薩摩藩、佐土原藩の墓碑が並ぶ。
そばには、西郷隆盛の子、菊草と午次郎の墓もある。
0
評価:
投稿日:1ヶ月前
大圓寺は織田信長や豊臣秀吉の家臣であった坂井下総守成利の子・旗本坂井成政の一族の菩提寺でもあります。

坂井氏は、織田氏と共に越前国の出身で、尾張国の豪族として栄え、その宗家は尾張守護代の清州織田氏(織田大和守家)の執事として尾張小守護代を務める家系とされ、坂井摂津守、坂井大膳亮、坂井輿右衛門直政(丹羽長秀家老)らは同族と伝わります。

坂井成利の養子には、姉川の戦いで先陣の大将を務めた尾張楽田城主の坂井右近将監政尚、関白豊臣秀次の侍医で「太閤記」「信長記」の著者の小瀬甫庵がいます。
坂井政尚(前名は余語盛種、父は余語盛政)と佐々成政(父は佐々成宗、一時期母方の余語姓を名乗り余語盛政とも称していた)は兄弟とする説があり、佐々成政の孫・鷹司孝子(本理院)は将軍徳川家光(弟の保科正之の養父は信濃高遠藩主保科正光)の正室となるなど徳川家との関係も注目されます。

余談ですが、坂井政尚の子の坂井久蔵尚恒(織田信長の小姓、姉川の合戦で16歳で戦死)の叔父とされる余語正勝は、教科書などに掲載される「紙本著色織田信長像」(国の重要文化財)を長興寺(愛知県豊田市)に寄進しております。

坂井成政の子・成令(なりよし)は、江戸幕府御目付役、日光御目付役、船手頭などを歴任するなど幕府に重用されました。成令の妻は、五井松平家の松平外記忠實(母は徳川四天王筆頭酒井忠次娘で徳川家康養女・ふう、従五位下土佐守・大番頭、六千石)の娘です。

幕末には、儒学者・林述斎(祖父は老中松平乗邑)の子で、将軍徳川家斉の側近・鳥居耀蔵忠耀の実弟の坂井右近将監政輝が坂井半左衛門の養子となり、火付盗賊改や先手弓頭、浦賀奉行(従五位下小笠原長常の後任)、御目付役、御鎗奉行、田安殿(御三卿田安徳川家)家老などを歴任しました。さらに政輝の養女とう(旗本福田家出身、最初の夫は尾藤水竹)は、蝦夷地を「北海道」と名付けた探検家の松浦武四郎に嫁いでいます。日本南画協会の設立者の一人となる谷口藹山(あいざん)は、政輝の紹介で谷文晁の写山楼に入門し、松浦武四郎の「夕張日誌」に挿絵を提供しました。その坂井政輝が建立した墓碑が大圓寺に現存しており、大変興味深いです。
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評価:
投稿日:2ヶ月前
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評価:
投稿日:11ヶ月前
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評価:
投稿日:1年前
とてもお世話になっております。
翌日の雨の予報を聞き、昨日のうちにと在宅の合間に伺いました。名残の桜ですね。
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