施設

菅原神社(菅原天神) 詳細情報 口コミ・レビュー一覧

名称
菅原神社(菅原天神) 
所在地
〒156-0043 東京都世田谷区松原3丁目20−16
営業時間
月曜日: 6時00分~18時00分
火曜日: 6時00分~18時00分
水曜日: 6時00分~18時00分
木曜日: 6時00分~18時00分
金曜日: 6時00分~18時00分
土曜日: 6時00分~18時00分
日曜日: 6時00分~18時00分
電話番号
レビュー件数
205
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価格帯

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総合評価:
80.33pt. / 100pt. 12位 / 14件中
Google評価4.1 / 5.0 ( 82.0pt. )
13位 / 14件中
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13位 / 14件中
高評価率5 / 6 ( 83.3pt. )
10位 / 14件中
5つ星評価率2 / 6 ( 33.3pt. )
14位 / 14件中
非低評価率6 / 6 ( 100.0pt. )
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非1つ星評価率6 / 6 ( 100.0pt. )
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レビュー一覧

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評価:
投稿日:1ヶ月前
こぢんまりとした素敵な神社です。菅原道真公が祀られているということで、牛の像と梅が美しい!広くはないですか、何故だかゆったりと落ち着く雰囲気が良いです。小橋を渡ると厳島神社もあります。情緒ある神社でした。
0
QQQのプロフィール画像 QQQ
評価:
投稿日:2ヶ月前
梅が見事です
0
評価:
投稿日:3ヶ月前
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評価:
投稿日:3ヶ月前
0
評価:
投稿日:4ヶ月前
松原菅原神社は、京王・明大前駅の南西700mほどの世田谷区松原の住宅街に鎮座している神社です。旧社格は村社です。

寛文5年(1665年)寺子屋を開いていた石井兵助直慶が学問の大切さを教えるために学問の神様である菅原道真公を祀る「大願成就南無天満宮自在天神」と刻んだ石碑を建てたのが始まりだとされています。
宝暦11年(1761年)社殿が建てられ、菅原天満宮としてこの地の氏神様となりました。
明治7年(1874年)明治政府が「宮」の称号や「菅原」の名を一般の民社で使用する事を禁じたので、松原神社と改めました。
大東亜戦争の後はそういった縛りがなくなったことから松原神社から菅原神社に社号が改められました。
昭和39年(1964年)社務所が再建されました。
昭和40年(1965年)社殿が再建されました。
昭和41年(1966年)神楽殿が再建されました。
神社から少し離れた場所に社地として赤堤川の水源となっている弁天池を所有していました。しかしながら周辺の宅地化が進んだ為に湧き水が出なくなり、荒廃した状態となっていました。氏子が相談してこの土地を公園地(弁天池児童公園)として世田谷区に売却し、その資金が神社の再建に充てられました。
平成14年(2002年)管公御神忌1100年祭で、境内の再整備が行われ、社殿など色を塗り直されました。

境内には、文政年間(1818~1830年)の天満宮の扁額などが現存しています。

「力石」は神楽殿の前にあります。その中の一つには四拾八貫目(180kg)という文字が彫ってあり、かつては奉納相撲や力比べといった事が行われていました。

毎年5月の第2日曜日には『弁天まつり』が行なわれます。
松原村は高台にあり、普段から水に乏しい土地でした。日照りが続いたりすると大変で、雨乞いも盛んに行われていました。雨乞いに向かったのは大山阿夫利神社や奥多摩の御嶽神社で、水をもらって戻ると弁天池に入ってその水をまいて祈願したそうです。その名残で祭りが開催されます。

神社のある「松原(まつばら)」という地名は、かつてあった武蔵国幕府領の荏原郡(えばらぐん)松原村に由来します。
明治22年(1889年)松原村・赤堤村・上北沢村が合併して、松沢村が発足しました。
昭和7年(1932年) 松沢村・世田ヶ谷町・駒沢町・玉川村が合併して世田谷区が発足しました。

松原の地名の由来は、世田谷城主の吉良氏の家臣であった松原佐渡守の三兄弟が松原宿を開いたことに由来しています。
松原宿は、現在の豪徳寺にあった世田谷城の城主である吉良氏の家臣である松原佐渡守が、古道・瀧坂道沿いに世田谷村内に作られた宿場でした。
もともとこの地域は赤堤村で、水にあまり恵まれない台地上の土地は雑木林が生い茂り、ほとんど人が住んでいませんでした。それを開拓したのが豪徳寺の滝坂道沿いに設置されていた松原宿の商人たちで、赤堤が旗本領でなくなった元禄10~16年の間(1697~1703年)に松原村として独立したとされています。
この辺り一帯に赤松林が多かったので松原と名付けられたといいます。

菅原神社(天満神社)は、菅原道真を祭神とする神社で、道真公が亡くなった後、平安京で雷、大火、疫病などの天変地異が相次ぎ、清涼殿落雷事件で大納言の藤原清貫ら道真左遷に関わったとされる者たちが相次いで亡くなったことから、道真は大自在天や大威徳明王などと関連付けて考えられるようになりました。「天満」の名は、道真が死後に送られた神号の「天満(そらみつ)大自在天神」から来たといわれ、『日本書紀』の「虚空見(そらみつ)」から、あるいは「道真の怨霊が雷神となり、それが天に満ちた」ことがその由来です。怨霊の記憶が薄れていくとともに、また太平の世になるにつれ、道真が優れた学者であったことから天神は「学問の神様」ともされ、多くの受験生が合格祈願に詣でます。
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